徒然雑記 第13回「世界情勢について」

こんにちは、ゆぴです。

 

3月になりましたね。

もう1年の1/6が終わったんですね…。

 

 

そして、世界情勢は大変なことになってしまいました。

 

これに関して個人的な思想や考えを述べるのは控えますが、

 

これを機にひとつだけみなさんに考えてほしいことがあります。

 

今回は、ロシアやウクライナといった、

 

おそらく多くの日本人にも耳なじみのある国名が並んだことから

 

多くの人がこのニュースに興味を持って見ています。

 

ですが、世界にはほかにも紛争やさ飢餓など、まざまな問題に苦しむ国や地域があります。

 

今回のことでニュースや世界情勢に興味をもっていただいた方は、

 

これを一過性の関心やブームで終わらせず、

 

いろいろな国や地域の情勢にアンテナを張っていってほしいと思います。

 

 

世界には、自分と同じ日に生まれた誰かがいます。

 

その誰かが、今この時も、もしかしたら何かに苦しんでいるかもしれない。

 

それなら、いま自分にできることは何か、できることはないか、

 

そういうことをこれからも考えていってほしいと思います。

 

最後に、世界が平和を取り戻しますように。

 

 

ありがとうございました。

 

ゆぴ

徒然雑記 第12回「テストのつくり方」

こんにちは、ゆぴるんです。

 

 

 

 

前々からここでも書いているように、私は腰が悪いのですが、

 

新しいバイクを買ってしまいました(#^.^#)

またスポーツタイプです(●´ω`●)

 

こういう状況になって、人と会うことが制限されたことでライダーが増加したそうですが、

一時期は外出そのものが制限されたり、そうでなくてもはばかられる時期もあったので、

以前のように気がねなく外に出て、人に会える時が来るといいですね。

 

 

 

さて、今回は以前からちょくちょくふれていた「テストのつくり方」について書いてみたいと思います。

 

ただし、これはあくまで「私の場合」ですので、すべての先生方や問題作成者がそういう風に考えているわけではないことは、事前にご承知おきください。

 

 

 

 

塾講師時代、私の専門教科は社会科で、小テスト、月に1回の単元別テスト、塾内模試などの作成経験があります。

また、日本全国さまざまな公立高校や私立高校、ときには大学受験問題の分析や解説などもしてきました。

 

その経験からいうと、テストには目的によっていくつかの種類があって

その種類によって出題する問題にもいくつかの種類があります

 

まず、テストの種類には以下のものがあげられます。

①学習内容が身についているかどうかを確認するテスト(小テスト、単元テスト、定期テスト など)

学力を判定するテスト(実力テスト、塾内模試、スコア式の各種検定試験 など)

合否を判定するテスト(入学試験、合否式の各種検定試験 など)

 

また、問題の種類については以下のものがあげられます。

a. 全員に正解してほしい問題(基礎レベル;ベースの点数や平均点、合否の基準点を設定するための問題)

b. 正解できる受験者とそうでない受験者が分かれる問題(標準レベル~中級レベル;点差を生み出して合否などを分けるための問題、ここをうまく作れるかどうかで意図したとおりの試験にできるかどうかが決まる)

c. 正解させないための問題(上級レベル~無理ゲーレベル;100点を取らせないための問題、試験作成者のプライド、受験者にとっては捨て問)

 

①ではa.を多くし、②や③ではb.とc.を中心に構成します。

この組み合わせや割合を調整することで、試験前にあらかじめ平均点の予想や合否の基準点を設定します。

この事前設定と試験後の実際の平均点などを比較することで、試験をうまく作ることができたのかどうかを反省し、次回の問題作成に活かします

 

さらに、回答形式では

α. 記号問題(選択肢から選んで記号で答える問題)

β. 一問一答式(答えになる単語を書いて答える問題)

γ. 記述問題(指定された文字数内で説明記述をして答える問題)

があります。

 

これらを①~③、a~c.と組み合わせます。

どの回答形式(問題形式)で作問するかは、試験の目的や採点方法、受験者数によって変わります。

 

ここで、ひとつウラ話というか、知っておくと考え方が少し変わるかもしれない話をしておきます。

それは、α. 記号問題についてです。

 

よく、四択で迷ったら3かウかcか、とりあえず「3番目」を書けば当たる確率が高い、というような話がありますが、

この説に根拠があるかどうか、という話です。

 

 

というのも、この記号問題が先述のa~cのどの種類の問題なのかによって、選択肢のなかの正答の配置は違うからです。

 

そもそも、記号選択問題である以上、正答率が0%になることはありえません

つまり、記号問題である限りa.の基礎問題かb.の頑張れば正解できる問題であるはずです。

 

a.の場合、問題レベルは基礎レベルである可能性が高いので、選択肢として与えられる語句そのものも基礎レベルのものが並んでいるはずです。

すると、出題者の意図としては、正解して得点を取ってほしいという思いと同時に、そのような基礎レベルをすばやくさばけるか、

逆に言うとこのような問題で時間がかかってしまうようならほかの問題には答えられませんよ、という試金石として記号問題を出題します。

 

そういう場合、正答はどこに置くかというと、選択肢の後半(ウかエ)に置きます。

前半の選択肢をすばやくさばけるかどうかを試すわけです。

 

一方、基礎レベルとは言えない問題の場合は、問題ごとに正統の位置が変わってきます。

要するに、出題者の意図として、「悩んだ後で正解してほしい問題」なのか、「悩んだ後で得点差をつけたい問題」なのかによって、

選択肢の前半に正統を持ってくるのか、選択肢の真ん中に正統を持ってくるのかを変えるということです。

 

「悩んだ後に正解してほしい問題」の場合は、選択肢の前半に正答を持ってきます。

繰り返し問題を読んでいると、どうしても前半の選択肢のほうが目にする回数は多くなります。つまり、その刷り込みによって正解にたどりついてほしいということです。

 

一方で、検定試験や入学試験など、得点差をはっきりとつけたい問題の場合は、時間をロスさせつつ最後まで悩ませるためには、選択肢の真ん中あたりにそれっぽい語句をいくつか並べると効果的です。

 

もちろん、問題数や全体的な正答の配置バランスなどを考慮して選択肢を組むので、すべてが上記の通りというわけではありませんが…。

 

繰り返しますが、今回書いたことはあくまで私が塾講師だったころ、問題を作る際に意識していたことや、問題分析をするなかで「そういう傾向がある」と学んだことです。

ですから、すべての作問者がこのように考えているとは限りませんし、

もしかしたらこれからはAIなどによって記号選択問題の完全シャッフル化なども起こりうるかもしれません。

 

ただ、もし何かの際に試験を受けることがあったときに、

こんな話をしてるやつもおったなぁ~

くらいに思い出していただけると、この記事を書いた甲斐があったというものです。

 

 

今回はこれくらいにしておきましょう。

 

 

ありがとうございました。

 

ゆぴ

徒然雑記 第11回 「詩の表現」

こんにちは、ゆぴるんです。


またまたすっかり日があいてしまいました…
気づいたらもう2月です。ほんと、早いですね…

もう1年の1/12が終わってしまいました…
1/12というと、1日でいうと2時間、映画1本分です。
たった1本の映画、2時間で人生を変えられてしまうこともあるわけですから、
この時間は看過できません…

おそろしや (((;´д`))))

ちなみに、私はSTAR WARSが大好きで、
ビデオだったとはいえ記憶にあるかぎり初めて字幕で観た映画が『帝国の逆襲』でした。
たぶん、そのとき初めて覚えた英単語が "destiny"でした。

ベイダー卿がルークにむかって
"This is your destiny"
というシーンがやたら記憶に残りました。

なんでかは、よくわからないんですが (^_^;



さて、今回は何を書こうかと考えまして、
思いついたのが、
国語の表現技法について、です。

それはそれで特に理由はないのですが (^_^;


まぁ、学習塾で働いていたころは、学校に先だって3月に学年更新がありましたから、
この時期は新年度の準備をしていました。

そして、新年度一発目の国語の授業は、たいてい「詩の表現」でした。

理由はカンタンで、小学校や中学校の国語の教科書の最初に詩が掲載されていることと、
「表現技法」は詩以外の文章でも使用されるからです。

それで、いろいろな表現技法があるなかで、やはりいちばんテストに出題されるのは、

比喩法、そして擬人法 です。

これも理由はカンタンで、

傍線部①のような表現技法をなんというか、漢字で答えなさい。

なんて問題を出せば、一定数書けない子がでてきて、100点を防止しつつ平均点を調節できるからです。

この辺の、100点防止・平均点の調節というテーマについては、また別の機会にあかしていきたいと思います。


さて、その「比喩法」のなかで、いちばん説明や理解が難しいのは、
圧倒的に隠喩法(暗喩法)です。
いわゆる『「~のような、~みたいな」という表現を使わない比喩』というやつですね。

小中学生には、とにかくこれの理解が難しいようです。

それはおそらく、隠喩法の用例が、すくなくとも小中学生の身の回りには、少ないからでしょう。
以前社会科のテーマでも書いたことですが、
「身の回りにあるかどうか」はその知識の理解に大きな影響を与えます。


そこで、私がよく用例として示していたのが、ある曲の歌詞です。
それがこれです。


『ハートは万華鏡』


そうです、あの大ヒットアニメ、『セーラームーン』の主題歌『ムーンライト伝説』です。

この歌詞、すごいですよね。
繊細で、くるくるとめまぐるしく様子が変わり、それでいてキラキラときれいな乙女心を
よく表した詞だと思います。

もっというと、直前の
『だって純情 どうしよう ハートは万華鏡』
という韻踏みが独特のリズムをうんでいて、
印象を強めているという点もすばらしいんですが。



ということで、今回はこれくらいにしておきましょう。
また機会があれば、こういう話もしていきたいですね。


では、
ありがとうございました。

ゆぴ

徒然雑記 第10回 「日常英会話、ビジネス英会話」

みなさん、こんにちは。ゆぴるんです。

 

年が明けてから、すっかり滞ってしまいました。

時間とネタがあるときに書いておかないと、このままズルズルいってしまいそうです。

 

 

さて、前回まで複数回にわたって国語や社会といった学校の教科について、

私が学習塾で教えていた経験から好き放題書いてきましたが、

今回は最近のことからネタを拾っていきたいと思います。

 

 

ここでも再三書いてきたように、私は転職経験があります。

そして、実をいうとこの半年から1年くらい、ある種の趣味のような形で企業の採用面接を受けてきました。

 

「趣味」と書くといろいろ角が立ちそうですが、

コロナ禍で平日でも出勤せず自宅にいることが多くなり、人に会う機会も減っていたなかで、

誰かと話したり、見識を広げたり、自分自身を見つめ直したりしながら、いまよりいい待遇でおもしろそうな仕事に巡り合うことができれば御の字という思いから、

企業のオンライン面接などに参加してきました。

 

その内容は、いつか機会があれば書くこともあるかもしれませんが、

今回は求人情報のなかでよく目にしたある言葉について、私見を述べたいと思います。

 

 

その「ある言葉」とは、

 

「日常会話レベルの英語力」や「英語でビジネスレベルの会話ができること」

 

といった表現です。

 

個人的には、とても抽象的な表現だと感じています。

どの程度からどの程度までが「日常会話」なのか、どの程度から「ビジネスレベル」なのか、こちらが判断しづらいからです。

(もちろん、応募者の英語が自社での業務に使えるかどうかを企業側が判断するために面接があるのだと思いますが)

 

たとえば、私はプロレスや格闘技が好きで、同じ趣味をもつカナダ在住の友人(カナダ人)とメッセージアプリを使ってよく会話をします。

さて、プロレスや格闘技ははたして「日常」会話でしょうか?ラリアットスープレックス、サブミッションといった単語は、日常会話レベルのものなのでしょうか?

 

あるいは、ビジネス=商売と考えると、たとえば

”How much?” ”10 dallors" 

といったシンプルな会話さえも、「ビジネス」英会話です。

 

もちろん、求人広告に出ている「ビジネスレベルの英会話」はそんなシンプルな話ではなく、おそらくは

英語を使って専門用語や専門知識に対応し、ある程度まとまった金額を動かすための交渉が滞りなくできる

といったレベルを指すのだと思います。

 

だからこそ、問題はこの「専門用語」や「専門知識」だと私は考えています。

 

以前に書いたことがありますが、コミュニケーションをとるという点にのみ絞っていえば、中3レベルの英語力(英検3級程度)で十分だと私は考えています。

 

専門用語や専門知識といったものはあとからついてくるものです。

 

私も日本語学校で勤務し始める以前は、在留ビザの種類などほとんど知りませんでしたが、現在はそれを専門にあつかい、必要があれば他者に説明したりしています。

 

また、「英語で滞りなく会話ができる」といっても、私たちが母語である日本語をド忘れしたり、どういえばいいのかわからないことがあったりするのと同じように、

外国語のネイティブの人たちも言葉をまちがえたりうまく表現できなかったりすることがあるのです。

 

ですから、bigとlargeの使い分けができなかったり、teachedやspeakedなんて言ってしまったりすることは、たいした問題ではありません。

確かに、場面や相手によっては残念な人だと思われることもあると思いますが、

たいていはあとから自分で気づいて恥ずかしくなるくらいで済みます。

 

大切なのは、姿勢だと思います。

日常会話というのは、なんの予備知識もなくできる会話のことで、

ビジネス会話というのは、ある程度の知識をもった者同士の会話のこと

ではないでしょうか。

 

繰り返しますが、知識というのはあとから身につけることができます

 

ですから、就職活動などで「ビジネスレベルの英会話」という場合、

大切なのはその分野の専門知識を身につけようという志が感じられるかどうか

という点だと思いますから、

これから就職や転職をしようと考えているみなさんは、ぜひそういう姿勢をアピールしてみてください。

 

 

はい、いつも通り話があっちゃこっちゃへ飛び始めたので、今回はここまでにします。

いつも着地点を決めずにジャンプしてしまうからこうなるんですね。

一時期のバトルもののマンガかよ! Σ(゚Д゚;)

 

 

ありがとうございました。

 

ゆぴ

徒然雑記 第9回 「国語について思うこと その2」

みなさん、こんにちは。ゆぴるんです。

 

前回からすこし時間が空いてしまい、その間に年が変わってしまいました。

年末年始はいかがお過ごしでしたでしょうか。

今年も、自由気ままに書いていきたいと思います。

 

さて、前回に続いて今回も、国語の力や授業について私見を述べていきたいと思います。

 

みなさんは、「国語が得意な子」と聞くと、どんなイメージを持ちますか?

 

私の経験では、こんな答えがよく返ってきました。

 

「読書をよくしていて、落ち着きがあり、物静かな子」

 

果たしてこれは正解でしょうか。

もちろん、人にはそれぞれ個性がありますし、一概にはいえませんが、それを承知の上で、私の経験からあえて答えを提示しましょう。

 

私は正解ではないと考えています。ただし、完全に間違いでもありません。

 

ひとつずつ見てみましょう。

まず「読書をよくする子」。これは正解です。本を読むと、それだけたくさんのボキャブラリーが身に着いたり、さまざまな文章表現に触れたりするわけですから、その分経験値がたまります。何をするにしても経験値というものは重要ですから、読書をして経験値をためれば、それだけ国語が得意になる可能性は大きくなります。

 

次に「落ち着きがある子」。これも正解です。前回述べた通り、国語の最大の学習は「まとめ、整理、伝達」です。特に前半の二つ、「まとめ、整理」は落ち着きがなければできませんから、落ち着きがある子はそれだけ国語の学習に必要な要素を持っているということです。

 

最後に「物静かな子」。これは、必ずしも正解とはいえないと、私は考えています。私の経験から言えば、よくしゃべる子にも国語が得意な子は大勢いました。むしろ、記述問題や作文など、いわゆるアウトプットの能力を試す問題では、そういう子のほうが、少なくとも文字数をたくさん書くという面では、よく書いていたという印象があります。私自身も、少年時代は「物静か」とは程遠い性格でした。それでも国語が得意だったのは、「父の質問」への回答と「約束の日記」によって、落ち着いて考える習慣とアウトプットする力が培われたからに違いないと思います。国語は、「文章を読んで筆者・作者の意図を答える」という点が特徴的にとらえられることが多いため、「読む」というインプットの力が重要だと思われがちですが、実はそれと同様に、ともすればそれ以上に、アウトプットの力を養っていくことが重要です。

 

このように言うと、国語が苦手な子どもがよく口にするセリフがあります。

「国語は数学みたいに答えがはっきりしないから苦手」「答えがひとつではないから嫌だ」というものです。本当にそうでしょうか。

 

少なくとも、受験科目・試験科目としての国語についていえば、これは正しくないと私は考えています。テストである以上、必ず正解か不正解か、マルかバツかという基準が存在します。それは当然「はっきりとした」基準として設けられています。解答の字数や指定された語句の使用の有無、文末表現などがその代表です。

もちろん、解答の内容も「与えられた文章の○行目から○行目を読み取っていないとバツ」、「問題文での指定はないが、この語句(あるいは同意語)を使っていないとバツ」といった明確な基準のもとに採点は行われます。

つまり、解答に至る道のり、解き方のプロセスはおのずから決まってくるということです。国語が苦手な人や、国語に対して「はっきりしない教科」という意識を持っている人は、ぜひ一度まわりにいる国語の先生に「解き方」を教えてもらってください。

 

一方、先程「はっきりしている教科」の代表格として挙げられた数学にも、「別解」が存在します。これは多くの場合解答に至るプロセス、すなわち用いる途中式や図形の見方のアプローチが違うという解答です。

 

これは旅行に例えるなら「現地集合」といえるでしょう。目的地までの交通手段は自由ですが、時間どおりに指定された場所にたどり着かなければいけないのが数学です。

逆に、「目的地から自由行動」、これが国語です。目的地までは同じ交通手段、解答のプロセスをたどりますが、そこからある程度の自由が許される。修学旅行と同じです。

 

国語は決して「はっきりしない」教科ではありません。トレーニング次第で確実に力をつけられる教科ですので、才能やセンスといった言葉で諦めることなく、ぜひ頑張ってほしいと思います。

 

今回はこのくらいにしておきたいと思います。

 

ありがとうございました。

 

ゆぴ

徒然雑記 第8回 「国語について思うこと」

こんにちは、ゆぴるんです。

 

みなさん、メリークリスマス♪

みなさんのところにはサンタさんは来ましたか?

 

私はどうですかって?

それをたずねるなんて、サンタさんがなんで赤い服を着ているのか聞いたり、

日本人が何でクリスマスにKFCを食べるのか聞いたりするくらい野暮なので、

やめておいたほうがいいです。orz...

 

 

さて、前回・前々回は社会科の授業について私見を述べさせていただきました。

今回は、国語について自由気ままに述べさていただきます。

 

ただし、今回は国語の授業の在り方といった話ではなく、

国語の力とはどういうことかということや、国語の力をつけるにはどうすればいいかということについて、述べていきたいと思います。

 

 

その前に、今回は私の経験から、私が考える国語学習の目的を語っておこうと思います。

 

私は、子どものころから映画が好きでした。ゴールデンウィークや夏休みには、兄や妹と一緒によく映画館へ連れて行ってもらいました。

子どもの頃ですから、アニメや特撮映画がほとんどでしたが、映画館を出た後、父が決まって私達に聞いたことがあります。

 

どんなストーリーだったか、どこが一番おもしろかったか、この映画のテーマは何だと思うか。

 

当時は観たばかりの映画に興奮して夢中になって語っていましたが、今思えばこの経験も、私のルーツのひとつです。

 

少年時代、私は読書というものをほとんどしたことがありませんでした。

本と呼べるものは学校の教科書か、漫画か、フィギュアなどのサブカル系の雑誌くらいしか持っていませんでした。

中学を卒業する間際か高校生になってからやっと、文学作品といえるものを手に取ったと記憶しています。

それでも、自分でいうのも何ですが、国語の成績は良く、かつてはそれを教えるという仕事をしていました。

 

それはほかならぬ、「父の質問」の賜物でしょう。

「父の質問」は、いわば即興の読書感想文です。ストーリーを整理し、自分の感想をまとめ、それをわかりやすく相手に伝えるという、国語の学習にとってもっとも重要な力が自然に養われていったのです。

 

そこで、お子様をお持ちの保護者の皆さまへ。

国語が得意なお子様に育てようとお思いでしたら、ぜひお子様にはたくさんの「質問」を投げかけてあげてください。

題材は何でも構わないと思います。私の場合は映画でしたが、本でも、テレビ番組でも構いません。

お子様が一番興味を持っておられることに「質問」をしてあげてください。

子どもは自分の好きなことには饒舌になるものですから、きっと答えてくれるでしょう。

 

自分の頭の中身をまとめ、整理し、伝える。その力を養う。

これこそが国語の学習の最大の目的です。

 

また、小学校低学年から中学年くらいまでは、日記もよく書かされていました。

毎日書いて、寝る前に父に見せるという約束でした。低学年の頃は「絵日記も可」だったので、いかに絵を大きく描くか、絵のインパクトで文章への注意を削ぐか、などと姑息な手を考えていましたが、この経験も大いに役に立ちました。

 

文章を書く力が養われたのはもちろんのこと、課題をいかに処理するかという課題処理能力や、約束を守るという当たり前のことも、この経験から自然に身につけたと思います。

 

やはり、子どもにとって親こそが一番身近な大人ですから、その人との接し方が大きな影響力を持つことは、いうまでもありません。

私は、親でも学校の先生でもない、「第三の大人」として、今の子どもたちに何かできることはないか、そう考えています。

 

 

今回は、ここまでにしておきます。

このテーマはもう少し続くと思いますので、お時間があればおつきあいください。

 

ありがとうございました。

 

ゆぴ

徒然雑記 第7回「社会科の授業について思うこと その2」

こんにちは、ゆぴるんです。

 

人生百年時代と言われるようになりました。

少子高齢社会に起因する定年延長、年金問題や老後の資金問題など、

60歳で定年退職して隠居、なんてのは遠い昔の話になりました。

さらに、AI技術の発展によって「将来なくなる仕事」などという議論もされるようになりました。

 

私たち、そしてこれからの若者や子どもたちは、生涯にわたって取り組むことができる新しい知識と技術の習得が必要になっています。

 

そういった問題を教育の力でなんとかしたい、そう考えています。

 

さて、前回は私が出会ってきた「社会科ニガテ人間」について私見を述べさせていただきました。

今回はその第二弾ということで、私が考える社会科学習のカタチについて語りたいと思います。

 

私の考える社会科の授業の理想形は次のとおりです。

 

・小学3・4年生:「社会科」授業スタート、映像や実地体験を通じて世の中とのつながりを広げる

・小学5年生  :ざっくり日本地理と世界地理、ざっくり日本の歴史

・小学6年生  :ざっくり日本の歴史

 

・中学1年生前半  :地理

・中学1年生後半~中学2年生12月まで:歴史

・中学2年生1月~3年生        :公民(現代社会)

 

正直、現行のカリキュラム設定ではかなり厳しいと思います。あくまで、私の「理想のカタチ」なので、温かい目で見てください。

 

前回、社会科には覚えることが多く、しかも大人になってからビジネスシーンでは役に立たない知識が多い、というお話をしました。

私は、そもそもこの「知識を身につける」という授業形式自体が、すでに役に立たないものだと考えています。

教育は、知識よりも知恵を身につけさせるためにあるものです。

 

また、上記の「私の理想の社会科」ですが、

小学3~4年生は、とにかく視覚や体験を通じた「楽しい」ものであるべきだと思います。

小学5~6年生は、ざっくりと地理と歴史を学びますが、ここでは知識を残すよりも、前回お話しした通り、「見たことがある・聞いたことがある」を増やすことが大切だと考えます。

 

中学では、ふたたび地理の学習から始めます。小学校から引き続いて歴史を学ばないのは、地理の知識が歴史の授業に役立つからです。これは「地政学」という分野として、近年注目されている考え方です。

また、地理分野は、社会科の3分野のなかではもっとも原理・原則にもとづいた分野だと私は考えています。

地理の基本は「気候・地形・農業・工業(産業)・文化」です。

気候や地形は地図を見ればおおむねわかります。地形と気候がわかれば、その地で盛んな農業を考えることができます。

工業や文化は人間の手が加わったものですから、ここはある程度「知識」として身につける必要がありますが、ここで役に立つのが小学生で身につけておいた「見たことがある・聞いたことがある」です。

 

歴史分野は、前回お話しした通り「知識量」がもっとも多い分野です。

しかし、繰り返しますが、私は知識を身につけることよりも知恵を身につけることが大切だと考えています。

たとえば、「邪馬台国の女王卑弥呼」という知識そのものは役に立たないかもしれません。しかし、ここで考えてほしいのは、なぜ二千年近く昔のことがわかるのか、ということです。

 

その理由は、みなさんご存じのとおり、中国の魏志倭人伝という書物に倭国に関する記述が記されているからです。

 

大事なのは、ここです。つまり、直接はわからないことでも、ヒントを集めて間接的に考えれば事実にたどりつけるかもしれないという思考方法です。

 

また、現在学校で教えられている「歴史」の授業は、いわゆる政治学で、「誰が何をした」に主眼が置かれています。

しかし、近世以降の歴史は経済学視点で考えるべきだと考えています。

さらに、明治維新以降の近現代史、特に「直近100年の歴史」こそ時間をかけて教えるべきだというのも私の持論です。

 

この

直接的にはわからないことでも、間接的にヒントを集めれば事実にたどりつけるという考え方

状況をただしく把握してどんな一手をうつかという経済的な視点

・過去にうまくいったことと失敗したこと

を学ぶのが歴史学習の意義であり、社会科を学ぶ意義だと思います。

 

それらを踏まえての、公民分野すなわち現代社会のしくみとなります。

 

 

さて、今回はここまでにしておきましょう。

今後もこのように好き放題書かせていただきますので、よかったらおつきあいください。

 

ありがとうございました。

 

ゆぴ